Asia特集&コラム

キャリアマネジメント

レッスン14.グローバルリーダーへの道~海外マネージャーが持つべきナレッジ・スキル・マインド(後編)

海外マネージャーが持つべきナレッジ・スキル・マインド

異文化コミュニケーションの苦さ

異文化コミュニケーションの苦さ

私が、シンガポールに来た理由は、これまでのキャリアのイチ・営業やイチ・カウンセラー以外に事業の経営を勉強したいと思い、経営学の勉強のためにシンガポールに来ました。
最初は、語学学校で英語力を鍛えながら、夜はマーケティング理論とウェブ制作のコースに通っていた時期がありました。
しかし、語学学校で学んだことは、「使わないとすぐに消えてなくなる英語」ということに気がつき、使う必要性を他のコースをとることで、自分に意図的に英語を使うための環境設定をしました。
しかし、その当時は、本当に「自分には英語の才能がない」とか、「私は本当にバカかもしれない」と思い始め、真面目に「もしかしたら、本当に脳に異常があるかもしれない」と、いくら書いても、読んでも、音読しても覚えられない自分が嫌になる日が多々・・。
思うように結果がだせない自分を責めて、なぜ自分にできないのか?という理由をさがしていました。
その後、MBAのコースにはいってからは、さらに過酷で悲惨な時間が待っていました。
英語ができないとクラスやチームで自分のアイディアや貢献をアピールできないディスアドバンテージを痛感したのです。
私のクラスはアジア各国から来た勉強のできる人達ばかりでした。
学生時代にあまり勉強していなかった私は、大人になり遅くなってから勉強を始めたこと、それゆえ自分独自の勉強法を編み出す必要があることに気づきました。
勉強のできる人は大抵自分にあった勉強法を何かしら持っているわけで、私にはそれが無いことに気がつきました。
そして、高島屋の紀伊国屋へ救いを求め探しに行き、大人の勉強法で有名な“和田秀樹”さんの本を探して読みましたね。

そんな、英語や分厚いマネージメント理論のテキスト、クラス内の異文化コミュニケーションとの闘いの日々を二年間、このシンガポールで過ごしたのもつかの間。
今はビジネスの実践で自分の力が試されています。
現在でもマネージメントで迷ったり、クライエントの課題を考える時は原則を確かめるために分厚いテキスト本を開き、読み返すことはよくあります。
しかし、仕事の日常では、特に人が好きな私は学生のときと違って、試験や先生の評価よりも顧客と直接コミュニケーションをして、顧客と一緒に悩み、マネージメントの問題解決のサポートをすることに仕事の楽しさを感じます。
また、私のオフィスフロアーには、色々な起業家達がパーテーションを区切って一緒のフロアーで仕事をしていますが、英語、マンダリン、ヒンズー語などが聞こえてきます。
私は、彼らと一緒にランチにいったり、仕事の相談をしたりとけっこう異文化コミュニケーションが必要な環境にいます。
と、いいますのも、フロアーに日本人は私ひとり。
彼らからすると、意味の解らない日本語が聞こえてくるオフィスでもあります。
仕事に夢中になり、気がつくと夜遅くなり、フロアーにひとりになると、「人には、ストレスマネージメントや長時間労働の警笛をならしておきながら、ああ、私も海外に来てまでも夜遅くまで働く日本人だな・・」と反省しかりです。
ただ、私の場合は仕事が好きでやっているので精神的なストレスはあまり負荷が重くないようですが・・・
しかし、これまでのシンガポール生活を振り返ってみて、どうも納得できない点がありました。
私は幼少の頃から、初めての人とでもすぐにうちとけたり、仲良くなれたりする自分だったのに、シンガポールに来てからはどういうわけか、シンガポーリアンとはなじめない自分がいました。
これはもちろん異文化のせいもあるのだと思いますが、コミュニケーションのスタイルや、姿勢、価値観に同意、共感ができなかったのです。
例えば、以前私はオーストラリアに住んでいたことがあるのですが、その時は、オーストラリア人とはすぐに共感、馴染んで仲良くなれたのに、なぜかシンガポーリアンとはコミュニケーションの壁ができてしまうのです。
この点については前回のエッセイで伝えたとおり、私も例外ではなく、シンガポーリアンのコミュニケーションや対応法について批判的な姿勢をもっていたからです。
ただ、後になって「ああ、この人達には中国語や中国人のコミュニケーションスタイルが背景にあるんだ」ということを知ってからは、あまり腹もたたなくなりました。
そうは思いながらも、お客に自分の利益しか考えずにお金ばかり請求する人には、今でも腹が立ちますが…。


オープン・マインドとコミュニケーション・スキルを磨く必要性

コミュニケーションとは

「コミュニケーション」とは、さて何なのでしょう?
実は日本語では一言の単語では相当する言葉が存在しません。
ご存知のとおり、英語のCommunicationをカタカナにして、外来語として使われています。
コミュニケーションを「大辞林」を引くと、人間が互いに意思・感情・思考を伝達し合うこと」と定義されています。
しかし、相手に何か伝えたとしても、その相手が伝え手と同じ意味を理解していることは、本来とても少なく、それは日本人同士であってもしかりです。
発信者は一人で、受け手が同じものを読んだり見たりしても、受け手によってその印象や意味の捉え方が違ってしまうのは、コミュニケーションの不完全さを物語っています。
しかし、コミュニケーションとは、最終的に「相手にアクションをとってもらう」ということを目的にした人間の行為そのものなのです。
問題解決にしても、コミュニケーションがなければ、自分の目的は達成されることはまず、ありえません。


日本人のオープンマインド感

コミュニケーションスキルは日本語で言えば“対人力”。
世の中で仕事をしていくうえで、どんな仕事をしていても人と関わらない仕事はありません。
海外で仕事をするうえでは必ず外国人と対面しなければなりません。
そのときに英語やその国の言葉ができれば、確かにこちらの意思を伝えることを容易にしてくれます。
しかし、人間関係つくりや、顧客との関係作りのためのコミュニケーションには、言葉だけでは「関係の構築」は難しいのです。
また、特に異文化間でのコミュニケーションでは、オープンマインドが欠かせません。
しかし、私達日本人は、日本で永らく「本音と建前の使い分け」「一を聞いて、十を知れ」「そんな内々の話を外にするもんじゃない」など、できるだけ自分の腹の内を相手に見せないようにするのが、日本の伝統的な日本語の使い方だったと思います。
ですから、そんな日本語文化をもった私達が、英語を使ってコミュニケーションするときには、意識や考えを英語用に意識をマインドセットする必要があります。
また、特に京都を中心とする関西圏には現代でも色強く、その伝統的な日本語の使い方、コミュニケーションのスタイルが残っていると思います。

そして、海外で多く見受けられるのが、日本人の海外赴任者の方で日本語文化を100%、海外に持ち込んで仕事をしている人の場合。 どうしても“日本語の英語”、すなわち日本語で組み立てた英語になります。
その特徴は、主語、目的語、述語が欠落してしまいます。
そのため、いざ、英語を話そうとしても、主語、目的語、述語が骨格となっている英語の場合、日本語を英語に直訳してしまうと、英語でのコミュニケーションでは、相手にとっては何を言おうとしているのか、まったく解らない英語になってしまいます。
部下はいつも、上司が何を言おうとしているのか、相当な想像力を発揮しなければなりません。
私の場合、面白いケースだと思うのですが、英語を知るにつれて、自分の日本語が主語、目的語、述語をはっきりと話す日本語に変わったと認識しています。
それは、さっきまで日本語で話していて、いきなり英語を話す場面に切り替わったとしても、切り替えがやりやすいと感じています。
また、ビジネス上では相手により的確に伝えるための日本語として、とても良い方法だと思っています。
なぜなら、海外に来ますと、日本人同士でも日本語の使い方が様々で、まさに異文化コミュニケーション。
例えば、関東の人と関西の人とでは日本語で言葉は通じても、言葉の背景にある感情や文化を理解せずに言葉を交わしても、話し手が伝えたい意図と受け手の理解がまったく違っていることが多くありますね。

日本人同士でもそんなわけですから、普段から面倒でも主語、目的語、述語を使って、相手に意味が伝わりやすい日本語、「そして英語」を使う方法をお薦めしたいと思います。
そして、「コミュニケーションとは相手が自分とは感じ方や経験が違うという前提で、そういう面倒な努力をしないとこちらの意思はほとんど正確に通じないという認識」を持つことで、特に外国人との異文化コミュニケーションを受け入れるための良き姿勢にも通じるものです。


人間関係を築く秘訣(言葉と気持ちのキャッチボール)

人間関係を築く秘訣(言葉と気持ちのキャッチボール)

相手が解ってくれて当たり前、ではなく、言葉だけでは不完全という前提で、日本語でも英語でも時間をかけてコミュニケーションをしていくことで、異文化の人との「価値の共有化」を可能とするのです。
また、オープンマインドによるコミュニケーションとは、異質な相手を受け入れる力でもあります。
このような体験は、日本で育った地域から、外にでない人には解りにくいことであり、海外にでてきた私達だからこそ学べるものだと思います。
日本語でも、世代間、男女間、会社、業界、組織間で使う言葉、コミュニケーションスタイルに違いがあります。
しかし、その違いをあきらめては永遠に理解や共感は不可能。
外国人とのコミュニケーションにおいては、まずは、日本語文化の壁を自分で一旦壊し、オープンマインドになることです。
人は心を開かない、自分を見せない人には警戒もしますし、そういう人に自分を見せようとはしません。
日本人はどちらかというと、同郷だとか大学が一緒だとか、相手と自分の共通点からコミュニケーションにはいっていく癖があります。
しかし、外国人の場合は共通点がほとんど無い!ということが最初から明らかですから、自分と違うという理由で関心を示さずにクローズマインドしてしまっては何も始りません。

また、職場のコミュニケーションの希薄さ、人間関係の希薄さは、もともと、そのようなコミュニケーションスタイルが要因となっていることに間違いはありません。
これは、日本語でも英語でも、異文化間の人との関係作り=信頼づくりには、面倒だし、パワーがいるし、しんどいけど、自分の思い・意思を伝えること、対話の積み重ねがお互いが持つ価値感をすり合わせて、共有するための唯一の手段だと言えると思います。
そこには、言葉と気持ちのキャッチボールの練習を重ねることが必要なのです。

言葉は確かに言葉でしかないけれど、異文化間では言葉は大切に使うべきであり、その言葉を使う技、そして使う時の心も大切だということだと思います。

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