インキュベーター・インスティテュート齋藤一恵のブログ

2010 年 6 月 16 日 のアーカイブ

2010 年 6 月 16 日 水曜日

「ビジネスだから」といって、人として何をしてもいいのか?

あはは。

この題材とおりで。ビジネスとは、社会活動です。 その社会で行動、言動したことはいろいろな人に影響を与えます。

やはり、どうも、私自身は、「ビジネスだから何をしてもいいだろ」という価値観の人とは、共鳴も同情もできませんね。シンガポールで体験し、感じたことを伝えます。

異文化のある世界の地球に生きている人間だからこそ、その人を尊重し、他者、他社の良いところを尊重して世界のなかで共存していきたいと信じていた価値観とは、まったく違う人とシンガポールで、「ビジネスだから」という言葉ひとつで、自分の不正なる行動、平気で嘘をついて周囲の人に迷惑をかけておきながら、最後は全部、自分を正当化するために発狂して、こちらを怒り散らしている、そういう日本人に出会いました。
(超びっくりしたぁ・・・・)

海外のシンガポールという国へ、乗り込んで会社を立ち上げて、それから6年間、異文化を尊重しながら、サバイバルしてきましたが。

このグローバル社会で他人に何の意味もつくれず、人間社会のための大きな意味も考えない、自分個人の優越感とお金のためだけに人からお金を奪うことがビジネスだと思い込んでいる人に出会いました。
平気で嘘をついたり、自分にとって都合の悪い人の悪口をでっちあげて、あちこちに話してうわさをつくるような暇人の人、そして、それを見て見ぬふりして、何とも思わない人や、このシンガポールに疑問がわきました。

この「問い」について、シンガポール政府のEDBの人に聞いてみたいと思います。
シンガポールという国は、商売人には、人間的かつ、ビジネス倫理がなくても歓迎できるのか? 倫理なくてもシンガポールでは利益さえあげて、お金をたくさん持つ人になれば、ビジネスでは、自分は人間としていけていると思わせているのではないか?
そんな大人ばかりを集めた社会で育つ子供たちは、もちろん、そうなるけど・・・。

自己利益のために人に虚言をはいて欺き、自己利益のために行動して、人から搾取したり、利益を横取りすることが正しいがビジネスの道ならば、この人間経済活動世界は地獄ですね。その地獄世界を啓蒙し、それを願っているような人とはどうしても価値観の共有も同意もできません。それを自分の子供にその行為を見せて、同じような大人になれと堂々といえるのでしょうか? ま、そういう大人も世界の資本主義者には沢山いますけど。。

その代わり、その自分のやり方、生き様を人や社会に包み隠さずに公開できるのでしょうか? 

で、だいたい、そういう人は、隠れ蓑的にボランティアや教会で活動することで、その人をよく知らない人に対して、私は善人です!というPRを普段から欠かさずしているようです。
そもそも、そういう世界平和や宗教を信じるならば、別に自宅と自己人生と周囲の人に影響を与えればいいのに、なぜか、家族にはそういうことをしないで、教会で沢山の人の前で「私は教会で無報酬で人々と神へ貢献しています」という、パフォーマンスを欠かさないのだ。

「ビジネスだから何をしてもいい」と平気でやる人は、そのプロセスをぜひ、それを公開してほしいです。それが成功であり、それが正しいと信じて、このように人から搾取してビジネスは成功できる本を正直に事実を書いてほしいですね。
しかし、なぜか、そういう人たちは、いつも一般的に受け入れられることしか、
表現しないのです。なんで?自分でそれが間違いだとわかっているということでしょうか?

その場合、嘘をつかずに、子供たちや、誠実に謙虚に生きている人たちの社会には近づかないで、同じような価値観の人のコミュニティだけで奮闘、ご活躍していただきたいと思います。
それのほうが、そのコミュニティでたくさんの賞賛と評価を得られることは確実です。
無理して、価値観の違う、庶民と同じ顔をしないでも、もっと賞賛されるはずです。

平気で嘘をつき、自己利益にもっていくことが、ビジネスでは正しいという価値観ならば、そういうタイプのコミュニティでチャレンジして、同じ価値観の人とフェアにやっていただきたい。嘘などつけない善民を相手に、嘘をつき、人々を惑わせるようなことをして、人を裏切り続けて、人を信用させる言葉をはき、相手のもっているものを搾取して、新しい顧客を餌食にするのは、人間社会にとって邪悪であるということに気づいてほしいですね。
でも、こんなところのブログで話しても、人を変えるのは無理だな。笑

人の心には、誰にも闇も善の心もあります。でも、闇の邪悪を実際にフルに使うのは、自分の人生を邪悪な色に染めることになるわけで。 でも、そういう人は、実は邪悪なことをしないと、自分が損をするという経験を人生でされていることが多いのだろう。まさにその人の人生経験による学習。 たまたま、その人の人生でであった人々があまりにも、お金と自己利益に走る人が上司だったり、親だったりするわけです。

そこからは、普段はまずは世間から見える、見た目だけを、人からよく思われる見た目に努力を重ねます。しかし、その見た目の体を動かしているエンジンの精神は、もう善的な心理には戻れません。 それは、人のいいといわれる人たちや、善を信じるそういう人たちが馬鹿だという絶対的な評価と、そう信じて生きているからです。

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