インキュベーター・インスティテュート齋藤一恵のブログ

喪失の国「日本」と差別

もう、1年前に読んだ本ですが。

アジアでビジネスに携わる方、またはインド人と普段、ビジネス関係、人間関係のある日本の方にもぜひ、一度は読んでほしい本です。

インドに関する本では、知名度の高い「山田和」氏の本で、「喪失の国 日本」という本です。

喪失の国日本 山田和

これは、1990年代の日本に駐在したインド人エリートビジネスマンの体験記をもとに書かれたという前提の本で、インド人から見えた、感じた日本と日本人のあり方について、また、日本人から感じるインド人についても、ドラマ仕立てのエピソードで書かれている。

私にとっては、とても面白く感じ、また、日本人の私でも、なんで日本人はそうなるの?と思っていたこともありました。ただ、外国人のインド人から見ても、愛せる部分が日本人にはあり、尊敬される面があったということと、そういった、尊敬されるような部分の多くを、この15年くらいで沢山の日本人が失くしてしまったのではないか?と、考え込んでしまった。

そして、昨今の日本、とくに東京には多くのインド人が駐在、生活しているが、彼らにどのように日本が映っているのか?とても興味が沸いた。

ほとんどのインドのインド人からは、日本という国には、悪い印象はない。できれば、もっと近づきたい国である。

しかしながら、多くの日本人にとっては、「できれば、近づきたくない」という本音を聞く。

シンガポールでは、街を歩いていても、沢山のインド人またはインド人らしい?人を見かけることができる。

また、シンガポールのビジネス界では、貿易商社のビジネスマン、弁護士、会計士などの専門家と沢山、出会う。

私は、シンガポールで学生をしている時から、何かの問題について、話し合いや議論をすると、なぜか、チャイニーズでもなく、シンガポーリアンでもなく、インド人と意見が一致してしまう経験が多くあった。そのせいか、いつもプロジェクトのチームの半分はインド人。あとは、クラスでマイノリティだったベトナム人やインドネシア人。

私自身も日本人は、そのビジネススクールでは、6000人中、ひとりしかいないマイノリティでした。笑

その後、なぜ私はインド人となんだか、考えが共有できるのか?自分で自分を探求してきた。

日本人でシンガポール駐在の人達は、インド人との商売があまりに異文化が過ぎていて、疲れてしまい、どちらかというと「もうイヤ!」という意見が多いのですが、私にとっては、本土から来たインド人の人とは話が合うのである。

それから、ずいぶんとインドに興味を持って、本を読んだり、インド人とディスカッションしたりしてきたが、最近、ひとつの共通点としてのキーワードに辿りついた。

日本語でいえば、「身分」、最近だと「差別」というものと、インドの「カースト」である。

カーストは、生まれた時からの身分、仕事が決まっている。日本には、そのような身分制度が歴史上にあった。

そして、今でも暗黙の了解のように身分を差別するような意識が日本人に存在していることを知った。

それは、在日朝鮮人に対してもそうだし、部落出身者という呼称のカテゴリー。

もう一方で、この21世紀にはいり、一見普通の日本企業の機械メーカーさんとの仕事で感じたことがあるのだ。

どうも、その会社の人は、会社から人間扱いされていないらしく、そういった愚痴を第三者の私によく、話していた。

しかし、1年を通して、その方達とのコミュニケーションを通して感じたことは、

その人たちは会えば、日本語で丁寧な言葉を使い、変に腰の低い言い方をするのだが、実際は、こちらがお金をもらう側なので、自分たちはお客様だという意識なのだろう。

こちらがメールしても、返事はない。これは、別にビジネス関係が悪いわけではなく、いつもそうなのだ。

それでも、忙しいのか、メールが苦手なのか?国際ビジネスマンの彼らからは、メールしても返事はない。電話して捕まえて、話をしないと何も前に進まないのだ。

しかし、彼らが一方的に私に電話して、私が「客先で会議が何時から何時まであるので、その前なら」と事前に連絡しているのに、電話にでられないと、何度も携帯電話に電話をされて、そのあと、皮肉を言われるのです。

しかしなぜ、いつも社内の日本人と一緒に複数で会えば、社長でも腰が低い言葉と態度をする彼らがそのようなビジネスマナーとコミュニケーションを一対一のコミュニケーションになると、打って変って違う態度を社外の人にするのだろう?と、ずっと不思議に思っていた。 それは、自分の評価が社内の人間によることに意識が傾いているように見えた。

そして・・・最近、やっとわかったのです。

これは、日本人に限らないと思うのですが、組織文化の心理的な連続性の問題だということが。

普段、毎日の職場で自分が組織や周囲の人から、尊重されていないと、それは誰でもストレスとフラストレーションがたまるものです。

上下の権力のなかで、個人として毎日、何十年も場合によって、虫けらのような態度や尊厳を保てないような言動を、組織や個人から受けた経験が続くと、上下の権力が強い組織間では、自分がその上の人間から受けた態度を、弱い立場の部下や社外の人に、「同じ様にやってしまう」のである。そして、それがその社内の組織の人間達には当たり前、ある意味、常識的、かつ普通の場面として見て見ぬふりされながら、企業文化として醸成されるのではないだろうか・・・。

私は、なぜ、この人達はローカルスタッフや、社外の人にこういう態度にでるんだろうか?と不思議でならなかったが、私にとってお客様のご本人達には、いくら、プロジェクトの課題に対しては率直にクライエントに言える私でも、やはり聞けなかったのです・・・。

しかし、どうして彼らの意識、態度がそうなるのか? ずっと私には解らなかったので、ずっと!その疑問を抱えたまま、1年くらい、個人的にひきづりました。「なんで、そうなるんだろう?」と。

しかし、私が抱えていた疑問に、最近、読んだ本から得たキーワードがつながり、確信を得られたのです。

人間的に尊重をされずに差別的な経験をした人間は、弱い立場の者に差別的な行為をすることで、自分の尊厳を保つということ。

最初に、この21世紀の海外でのビジネス経験とつながったのは、この本のなかの文章でした。

人間というもの & 差別と日本人 書籍写真

”江戸的身分制は、ほとんど数学的としかいえないほどに多様かつ微細に上下関係の差がくみあわされている。ひとびとは、相手が自分より上か下かを即座に判断し、相手が下ならば自分の体まで大きく見せ、上ならば身体を小さくして卑屈になる。そういう伸縮の感覚が、江戸社会に暮らす上で重要な芸になっていた。”「胡蝶の夢 四」 P158 司馬遼太郎

これは、「人間というもの」司馬遼太郎 の一部の文章で、私はこの江戸時代の数学的に多様な上下関係というものを知りたい、何かインドのカーストと類似性がある気がして、紀伊国屋に探しにいきました。

が・・・江戸時代の身分制度に関する専門書を探すのが難しく・・・。探しているうちに、目にとまった本がこれでした。

上記、写真の左側 「差別と日本人」 辛 淑玉&野中広務 共著 2009年6月初版

その本は部落民と在日朝鮮人に対する差別の事実を元に話が展開されていたのですが、面白いことに、その中から、答えを得たのです。

”自分は他者より優位だという感覚は「享楽」そのものである、一度その享楽を味わうと、何度でも繰り返したくなる。特に人は、自分より強い者から存在価値を否定されたり、劣等感をもたされたりしたとき、自己の劣等意識を払拭するために、より差別を受けやすい人々を差別することで傷ついた心のバランスをとろうとする。再度言う。差別は享楽なのだ。差別一般、そして部落差別を支える心のメカニズムがある。” 「差別と日本人P70より引用」

日本人は、昔から社会、組織の色々なところで、組織の権力で差別的な言葉や行為を受けてきており、それをだまって受けてきた人の一部には、それを誰かにやり返して、享楽を得たいという行動意識にでるのではないか?

そういうことに気がついた。

きっと、私が「どうして、そうなるんだろう??」と思った組織では、彼ら自身が昇進するためにも、組織からそういった、虫けらのように扱われた経験、言葉を受けてきたのではないだろうか? だから、シンガポールのスタッフにそういう態度にでるのではないだろうか?と思った。

ちなみに、シンガポールの日本企業は、海外拠点のスタッフの意見や評価は、すべて日本人駐在員の手のなかにあり、日本本社には一切、報告する必要がない日本企業がほとんどである。

コメントをどうぞ

Trackback URL

space